だから目を閉じるのだ

覚えのない頭痛がして起こり得る可能性に考えを巡らした結果喋り過ぎによる酸欠という結論が出てひと安心からの深呼吸。数十年っていうそれなりの長さで付き合ってる筈の自分自身なのにいまだに知らなかった一面に驚く事がある。もともと備わっていたものが引き出された結果なのか外部刺激ゆえに生じた反応なのか分からないけど確実に言えるのは自宅でひとりきりで居る事では決して知り得なかった姿であるのは間違いないということ。情けなかったり格好悪かったりもするけどそれら全部ひっくるめていつも通りに操縦するのが難しくなるほど大きな存在だということ。

時間が経つ程にリアルタイムである価値は損なわれるし諦めるのも上手になる。横着者で臆病者って救いようがないなと思う。いない間も思い浮かべることで内側にいるからいないのにいることになってずっといる。仄暗くも破顔。居座っている。両手広げる理由なんてひとつあれば十分。